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閉鎖しました「しまだ」は閉鎖します。おせわになったみなさま、ごめんなさい。02`2/14から、4年間、実質2年ほどですが、文章もろくにかけない中学生・高校生がサイトを続けられたのもひとえにみなさんのおかげです。ありがとうございました。とりわけ都会の水辺のAkiraさん、日本淡水魚類愛護会の西村さんをはじめとしたみなさま、瑠璃の魚篭のあいざわさん、Tommyさん、サイト以外のことでもですが、本当にありがとうございました。とても楽しかったです。BBS mail

リンクをしてくださっているサイトのかたへ
本当にお手数ですがリンクの削除のほうよろしくお願いします。

 閉鎖の理由ですが、もちろんもう2年も放置して理由も何もないのかもしれません。2年間放置してしまった理由ですが、高校に入ってそっちがいろいろ楽しく忙しかったこと。大学受験があったこと。そして水辺に行かなくなったことです。
 水辺に行かなくなったこと、この理由ですが、簡単に言えば「駆除が嫌だ」ということになります。もちろん、ならば駆除などしなければいいのですが、そうと割り切ることもできませんでした(今ももちろんできていません)。水辺に行くと、だいたい、駆除しなくてはならないことになります。とても悲しいことです。私はブラックバスやブルーギルが駆除されなくてはならないなら、同様にアメリカザリガニやコイやヘラブナなども駆除しなくてはならないと考えていました。しかし、やはり生き物を殺すのは嫌でした。そしてそれが絶対に嫌になったのです。溜まっていた何かがあふれ出したのかもしれません。また、「外来○バスターズ」などと自らを称したり、「バサーは〜、バサーは〜」とその本質や自らのことに対し熟慮せず一面的に・一方的に悪口を述べ、駆除を正義とでもするような愚かな人たちを見て、どんどん嫌になっていったのだと思います。「バス・フィッシングを純粋に楽しみたいからバスを駆除しないでくれ」という人たち(積極的に外来魚を放流するような人たち、あるいはそれを是とする人たちは論外ですが)と「おれたちは正義の味方だ」とバスを駆除する人たち、人間性というものを考えたとき、どちらが「暖かい」のでしょうか。
 さらにこのことは「『自然を守ろうとすること』なるものへの懐疑」にもつながると思います。「なるもの」などと書いているように、これは一体なんなのでしょうか。あまりにも漠然としていて実体がよくわかりません。よくわからないながらも行動が優先されており、もちろん現状を見れば優先されてしかるべきであると思います。しかし、一般に各々にとっての「自然」とはその人の「原風景」に根ざすものとされています。それゆえ、各々がイメージする「自然」とはそれぞれがかなり異なっているものなのです。そして「自然を守ろう」とすることは自身の「原風景」に対し保守的な行動を起こすことであります。「原風景」も曖昧な概念ですが、これはその人が「なんかいい」と感じたもの、と曖昧な定義をしておきます。つまり、「自然を守ろう」とするとき、各々が各々の「自然」「原風景」を固持しようとします。各々が保守的になることに「進展」とよべるものがあるのでしょうか。また、もっと重要なことは、それゆえに「自然保護」とは実は身動きのとれないものとなってしまうでしょう。もちろん実際に「自然を守ろう」とすることはグループや集団によって、ひとつの目標を目指して行われていますが、このとき実は重大な問題が起こっていると思います。つまり、そのグループの内外で、少数の「原風景」「自然」とその意見や主張、あるいは妥当性のないとされるそれは排除されることになっているのです。
 私は今、この排除される少数になっています。というのも、今、というかここ何年間かずっとですが私の住む地区で緑道に「せせらぎ」という人工の川を造る工事が行われています。その緑道は以前(30年程前まで)川が流れていたところで、そこに蓋をした暗渠の上にかつて作られたものなのです。その緑道をふたたび水辺のあるものに「再生」しようという工事です。この工事以前の緑道はブランコなど遊具のある、細長い公園のようなものでした。そこには植え込みがあり、雨の日などはカタツムリやヒキガエルがたくさんでてきていたのを覚えています。それらがすべて取り壊され、新しい「せせらぎ」が造られています。ここに「原風景」の衝突が生じるのです。つまり「せせらぎ」の工事を推し進めている人たちにとっての「原風景」は以前の川なのですが、私にとっての「原風景」はヒキガエルやカタツムリをとった緑道の植え込みなのです。植え込みとは所詮人工のものですから、川を「取り戻そう」とすることより妥当性に劣るのは明らかですし、「せせらぎ」を推進する大人たちのほうが力を持っています。私の「原風景」は太刀打ちできません。排除されるしかないのです。
 若干、このサイトの範疇からずれた具体例でありましたが、このようなこと、つまり少数が排除されることは「自然保護」のなかで往々にして起こっていることだと思います。このときはたまたま私が排除される側ですが、排除する側にいることも多いと思います。これは無視して構わないことではないでしょう。
 つまり何が言いたいかというと、このようなことを考えたとき、少なくともこのサイトで扱ってきた範囲での「自然を守ろう」とすることに関して、私はもう身動きがとれないのです。身動きが取れないなかで、なにかを目指し、模索を続けるべきだと思います。しかし、まだ10代のガキですからまだまだ一つに固執するのではなく、世界のこと・人間のことをももっと考えなくてはならないと思うのです。インターネットのなかで私より年下の人と(あるいは年上も)触れ合ったり、実際にあったりしたことでこの思いはますます強くなりました。「おまえ、まずもっと人のことを考えるべきだろ」と。もちろんこれはいい訳ですし、逃げです。しかし、もう、今は本当に嫌になってしまったので逃げたいと思うのです。(「今は」というのはいつかはもどりたいというつもりです。このままでは終われないと思っています。)
 本当にみなさんにお世話になっていろいろなことを教えていただいて、逃げるのは本当に申し訳ないのですが、自然に対するのは真剣であるべきだと思うから、このようなことをなおざりにして向き合ってはならないと思っているのです。長い文をここまで読んでいただいてどうもありがとうございました。また。

秘ノ餌 06`02/26